東急ハンズより毛皮の件で返答がありました

先日公開した東急ハンズで毛皮を売っている件について、私が送った意見に返答がありました。
丁寧な返答でしたので、要点の部分のみ転載致します。
(名前は伏せてあります)

↓ここから
ーーー
 さて、当店で扱っております毛皮等につきましては、正規に流通してお
ります商品であり、法的には問題がないとはいえ、ご指摘のとおり、社会
的趨勢という観点において反省すべき点があったと判断しており、このよ
うなご意見をいただきましたことは、ごもっともなことと存じます。
 私どもの考えが至らず、●●様にご不快な思いをお掛けし、誠に申し訳
ございません。

 今後の取り扱いにつきましては、頂戴いたしましたご意見を真摯に受け
止め、検討のうえ、店頭より視覚的に明らかに動物の毛皮と認識できるも
の(顔・頭等がついているもの)は、速やかに撤去させていただきました。

 さらに、その他の毛皮類の取り扱いにつきましては、引き続き社内で検
討を重ねてゆく所存でございます。

ーーー
↑ここまで

私はもうアメリカに戻らねばならないので、あのディスプレイがどうなったか確かめるすべがないのですが、あのウサギたちの毛皮はどうなったのかなあ。。
(顔や頭はついていなかったので、そのままかもしれない)
カエルは撤去されたかな?

いずれにしても、速やかに何らかのアクションを起こしていただけたことには、大変満足していますし、手応えも感じています。
もっと多くの人の声が集まれば、いずれは毛皮製品を扱うことを諦めてくれるかも知れません。

お店としては、この冬にむけてセールのために大量に入荷したものを、たった一人の意見だけですぐに全面撤去とはいかない、という事情もあると思っています。
だからこそ、沢山の人からの、毛皮を見かけたら声を届けつづける、という地道なアクションが必要だと思います。

こういうクレームには、社会通念上問題がある、という立場よりも、むしろウサギを愛する人間の一人として、毛皮を剥がれる動物たちを思うと辛い、という個人的な感情を訴えた方がよいような気がします。
ポリシーや理念はぶつかることがあるかもしれませんが、誰も、好んで人の心を傷つけたいとは思わないと思うので……

ただ、こちらのメールは、私が指摘した店舗のフロア主任の方から直接いただいたもので、他の店舗ではどういう対応かわかりません。
(私が送ったメールが他の店舗にも転送されているかどうかもわかりません)
他の店舗でも対応してくださるかどうか分かりませんが、見かけたら、あくまでも冷静に改善メールを出してみてはいかがでしょうか。

一方で、改善がみられた店舗に対して、お礼のメールを送ることは、クレームを送ること以上に大事だと思います
だれだって、文句言われるより、「ありがとう」や「応援しています」というメールの方が、より「頑張ろう!」って気になりますものね。

というわけで、私も返信したので、記録として転載します。

ーー

この度は、大変丁寧なご返答を有り難うございました。
また、この件について迅速な対応をして頂けました事に、心より感謝申し上げます。
残念ながら、既に○○を離れてしまい、すぐにどのように変わったのか確認出来ませんが、次回○○を訪れた時には是非また立ち寄らせていただきたいと思います。

毛皮製品については、勿論、法的に問題のない商品を扱っておられる事存じております。
私自身、毛皮工場で見学をした事もありませんので、一部の動物愛護団体が報じるような動物虐待が恒常的に行われているかどうか、判断出来る立場にありません。
しかし、ウサギを飼育している者の一人として、毛皮を触れば、そのウサギが生きていた頃にどのような環境にあったか、おおよその見当はつきます。
残念ながら、たとえ法的に問題のない商品であっても、ウサギたちは大変なストレス下で飼育されていると判断せざるを得ないものがほとんどです。

毛皮については、どんなものでもとにかく販売すべきでない、という立場もあれば、食肉などの副産物であれば有効利用されても良いのではないか、という立場、あるいは伝統的な毛皮産業を守るためになくすべきではない、という立場、色々あるかと存じます。
東急ハンズ様がどの立場をとられるのか、今後検討されるとのことですので結果をお待ちしたいと思いますが、いずれの立場をとるにせよ、一点お願いしたいことがございます。
(○○店のみならず、ハンズ全店にお願いしたい事ですが)

それは、漫然と売らない、ということです。
何故毛皮を売るのか(売らないのか)、その理由をはっきり顧客に知らせて、むしろ顧客を啓蒙する姿勢をとっていただきたいということです。
たとえば、数のコントロールのために射殺されたシカの皮を眼鏡拭きに加工して販売している会社があります。
その商品には、この鹿が皮のために殺されたわけではないこと、失われた命を有効利用するため、商品に加工していることが書かれたチラシが入っていました。
これが方便なのか、本当にそうなのか、疑う人もあると思いますが、すくなくとも、この会社は動物の命を消費して商品を作ることに対して気を配っている、という印象を受けました。
私は、ものを生産し、販売する立場としては、やはりそのように気を配るのが正道だと思いますし、そのようにお店側から立場をはっきりさせることで、顧客も自分のポリシーに合った商品を選びやすくなります。
また、ハンズのように、オリジナリティを全面に押し出した商品展開をされている店舗では、店舗側からそのようにはっきりとポリシーを打ち出すことで、新たな顧客層やリターンユーザーの開拓にも繋がると思っています。

この度の迅速なご対応、重ねてお礼申し上げます。
今後のハンズの決断を楽しみにしております。

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東急ハンズより毛皮の件で返答がありました” への8件のコメント

  1. ブログ村のタイトルを見て飛んできました
    去年からのファーブームらは、日々心を痛めております
    毛皮を販売しているお店では買い物をしないと心に決めています
    だいたい、暖冬な日本の冬に毛皮なんて必要ないじゃないかと
    いつも思うのです・・・
    エスキモーみたいに、アザラシの毛皮を取り、肉を食べ、毛皮は着るものにしている
    そういう生き方の人たちもいます
    そういう人たちは、生き物に対しての感謝がありますよね

    東急ハンズで売ってるとはびっくりです
    横浜にもあるのでさっそくチェックに行ってきます
    私も自分の思いを意見したいと思います

    海外で作られる毛皮のほとんどが日本に輸入されるとも聞きます
    日本人の動物に対する地位の低さには驚くばかりです
    捨て犬・猫・うさぎ、殺処分されている動物の数にも驚きです
    ペットたちの地位向上のためにも、こうした一個人のブログであっても
    大切なことだと感じています
    教えていただきとてもありがたいです

    • がじゅう さんこんにちは!
      私も、今はこんなブログ書いてますが、以前は本当に毛皮にも羽毛にも無頓着でした。でも、毛皮の現実について知らせてくれる多くの個人ブログを拝見して、毛皮は二度と買わない、と決めました。

      一人一人の力は小さいですが、それでも訴えていかなければ変わらないですし、実はきちんと訴えれば、完全無視ということは殆どなくて、なんらかの対応をしていただけることも、少しずつ分かってきました。
      すぐに全部なくすことは難しいですが、対応していただけるということは、その問題について考えてくれたということ。
      それが、将来もっと先へ進むための第一歩だと思っています。

      まだまだ、日本は「毛皮といっても肉ウサギの再利用でしょ」としか思っていない人が多いのだと思います。
      一部はそうですが、毛皮のために殺されるウサギも多いんですけどね。
      だからこそ、まずはウサ飼いが声を上げるべきなのかな、と思っています。

  2. 前々から思ってるんだけど、
    ヴォーグとエルの最大手2誌がファー商品の掲載廃止、を宣言すれば一気に流れが変わると思う。
    毛皮から「おしゃれ」という感覚を払拭出来ないことには根絶出来ないんじゃないかと。
    そういう意味ではタバコに近いのかも知れないですね。
    昔はタバコ産業はとんでもない力を持っていたし、喫煙自体が格好良いっていうイメージが作られていた。
    今は違いますよね。
    毛皮も身に着けてると回りから白い目で見られるようにならないと駄目なんだと思う。

    • ラパンパパさん、お久しぶりです!
      そうですね……で、堂々と、「フェイク使ってます!」と宣伝してほしいです。
      「フェイク」って語感が悪いのかな。ニセモノ。デザイナーさんが後ろめたくなく使えるフェイクファーが必要なのかも。

      あとは、芸能人やセレブと呼ばれる人達に積極的に毛皮を着ない、と宣言して欲しいですね。
      まあ、セレブが血統書付きの犬猫を自慢するような社会と、積極的にシェルターからレスキューした犬猫を飼う欧米とじゃ、もうはっきり素養の差がでちゃってるんですけどね…(溜息)

  3. はじめまして。
    初めてのコメントでこんなことを書くのはとても失礼だと承知のうえであえてお尋ねします。

    毛皮を着るのもペットを飼うのも、個人の趣味嗜好娯楽という点では同じ行為です。
    殺して衣料品に利用するか、生かして愛玩物に利用するかの違いだけです。(ペットは伴侶だ家族だと飼育愛好家は仰いますが、所有され去勢され一切の自己決定権を奪われたまま飼い主の勝手な自己投影と感情移入の器にされ、都合よく生かされ弄ばれる「家族」なんてありえないと思います。)

    もぐらさんはじめ自称動物愛護の方々はなぜ、ご自分の趣味娯楽(動物飼育)を無思慮に肯定する一方で他人の趣味(ファーファッションなど)だけを激しく批判するのでしょうか?私はそれはフェアではないと感じます。
    ファッションの趣味を諦めろと他人に言うならば、まず自分たちが飼育の趣味をやめるところからスタートしてこそ、動物利用を止めようと訴える資格があるのではないでしょうか?

    不愉快なコメントをしてすみません。
    ペット愛護系の人ってこういう疑問をぶつけるとみんなすごくヒステリックに反応するので困るんですが、こちらのサイトはもぐらさんはじめコメントをいれている方々も冷静で知的な印象を受けたので、普段は口にできないでいる質問をしました。
    凄く腹が立ったらこのコメントは削除して無視してください。

    • AKIRAさん、こんにちは!
      問題提起、ありがとうございます。
      不快だなんて、そんなことはありませんよ!AKIRAさんのご質問も非常に冷静かつこちらの立場にも配慮していただいたものですから、そういう議論は大歓迎です。
      ご理解いただけるよう説明できるかわかりませんが、この件に対する私の立場を説明させていただきたいと思います。

      実は、これに似た問題に関しては、「日々の出来事」カテゴリの「命をいただくということ」というエントリに詳しく自分の考えを述べていますので、そちらもご覧いただければ幸いなのですが……

      結局、動物愛護の問題は、いかに現実から目をそらさず、そこで生まれる葛藤に対して自分なりの答えを出すか、だと私は思っています。
      それゆえ、「正解」はありません。
      (にもかかわらず、ハンズに注文をつけた理由は、最後にお答えします。)

      AKIEAさんが、自分の葛藤に向き合われて、ペットとして動物を飼うことも悪である、と結論されたのなら、そのように胸を張って主張されれば良いと思います。
      ただ文面からは、AKIRAさんご自身がそう考えておられるのか、むしろそういった葛藤を感じたわけではなく、ペットも毛皮も所詮趣味なので同等に認めるべき、と主張されているのか、判然としませんが…。
      後者ならば、そもそもの出発点が違いますから、私は毛皮を認めることとペットを飼育することを同等に扱えるとは思いません、としか説明のしようがないのですが、前者であった場合を考慮し、もう少し説明します。

      たとえば、こんなことを書くと怒られそうですが(笑)犬、猫などは、どうしても動物性タンパクが必要です。
      人間はもともと雑食ですから、頑張ってベジタリアンになるにしても、そういう人達が犬を飼ったら、犬にもベジタリアン食を強要するか?
      このあたりになってくると、確かに、見方によってはペットへの自分の主張のおしつけ、虐待ともとられかねませんね。
      だから、シリアスなベジタリアンの中には、ペットに否定的な人も結構います。
      (だって、畜産を否定しながら、ペットの犬には畜産物を食べさせるわけにもいかないでしょう)

      ですので、私自身は、AKIRAさんが「ペットも毛皮も本質的には人間の趣味娯楽」であるから同列では、考えておられることに対し、異をとなえるつもりは全くございません。
      しかし、私自身がそう考えるか、と言われたら、少なくとも現在は、そうは考えていない、というのが答えです。
      (将来変わるかもしれませんけど)

      一番の違いは、
      1)たとえペットは自己決定権を奪われた存在であるとしても、だからといって彼らが不幸せであるとは限らない、
      2)犬、猫、イエウサギなどは、既にペット用に品種改良されたものであり、彼らに野性下と同じ自由を与えることは別の形の虐待に過ぎない、
      と私が信じているからです。

      ペットが不幸せな存在であれば、一生ケージに入れられたまま、ろくな医療も与えられず、毛皮にされて死んで行く動物たちと同列に語れるかも知れません。しかし、ペットにも幸せがあるなら、そこを同列に語るのは少々飛躍ではないかな、と私は思います。

      また、私が即ペットを否定しないのは、既に彼らが人間とコミュニケーションをとるべく品種改良された種だからです。
      ペットを否定する、ということは、今存在する品種改良された動物たちの種を破棄する、ということでもあります。
      野生で生きていけず、人間にも面倒を見てもらえないなら、淘汰されるより他ありませんから。

      勝手に生み出したのだから、消滅させるところまで責任を持て、という言い方も出来ます。
      しかし、その種の動物本人達にすれば、「勝手に生み出しておいて、今度は消えろという、そんな身勝手な話があるか」と叫びたいのでは、と私は思います。

      勿論、幸せに生きられるかどうかが飼い主に依存し、ペット自身で決められない、という問題はあります。
      しかし、この問題と、ペットとして飼われる動物たちが本質的に不幸せなのか、という問題は、切り離して考えるべきです。
      実は、獣医さんにもそういう事を言われる方がいて、驚いているのですが……
      そのくらい、困った飼い主が多いということかもしれません。

      ただ、我々人間は、所詮ペットたちのことは完全には理解できません。彼らが幸せである、と断ずる根拠もありませんが、彼らがまったく幸せでない、と断ずる根拠も、やはりない、と私は思っています。

      野生のウサギたちは、大変過酷な状況に置かれています。私自身、胸をハエのウジに食われながら、必死で生きている子ウサギを見たことがあります(勿論、こういう子はじきに、痛みとショックに苦しみながら死にます)。冬には、食料がなくなり、飢え死にする個体もあります。彼らの表情は一様に厳しいです。

      一方、家で飼っているウサギは、飼い主の欲目かもしれませんが、確かに、嬉しそうだったり、幸せそうだったり、という表情を見せるのです。
      野生のウサギには彼らの幸せがあるでしょうが、私には、我が家のウサギたちにも、家ウサギとしての別の幸せがあるように見えてなりません。

      勿論、「ペットをお店で買う」ことに関しては、私も否定的です。ペット産業の影で犠牲になっている動物たちの数は計り知れません。
      しかし、これもまた、人間と動物が一緒に暮らす、ということの是非とは、切り離して考えるべきだと思っています。

      前置きが長くなりましたが、以上私の立場をご説明した上で、最後に何故毛皮に反対なのか、ということをお話します。

      比べたことはありませんが、おそらく、毛皮として消費される命の数より、愛護センターで命を終えるペット達の数の方が多いのではないかと思います。
      その意味では、ペットの生体販売を完全停止する方が、毛皮をやめるより救われる命は多いのかも知れません。
      しかし、毛皮は、動物一匹の命を奪うことでしか得られないものです。
      見栄えのために命を犠牲にする、ということに頓着しない国民が、もともと可愛がるために生産するペット達を敢えて制限しよう、なくそう、という議論にまで飛躍するとは、私には到底思えません。

      我々が他の命を消費しながらでしか生きていけない存在であることは百も承知ですが、そこで諦めてしまって、必要最低限まで奪われる命を減らそう、という気構えをなくしては、現在の命の大量消費の事態も好転しようがありません。
      「どうせ、あちらでも命を無駄に使っているのに、何故こちらばかり責めるの?」という問いかけの応酬は、事態を好転させよう、という勢いを減速させます。
      こちらでもたまに見られますが、愛護家同士で足を引っ張り合う、ということさえ実際に起こるのです。
      誰にとっても好都合な結論など、この複雑な人間社会で有り得るはずがありません。
      であれば、崩せそうなところに運動のパワーを集中する、というのは当然考慮されるべき戦略です。

      毛皮は、そういう意味で、一番崩せる可能性の高い牙城なのです。
      絶対必要、というわけではないですから。
      これがペットとなると、ペットによって精神的恩恵を受けている人が居る以上、簡単には議論が収束しないでしょう。
      順序としては、まず毛皮のためだけに命を奪う、ということがある一定以上の人口比で罪悪視されはじめて初めて、畜産や動物実験、ペットの是非などの問題へと社会的な関心が高まっていくと思います。
      民主主義である以上、社会的な関心が高まらなければ、何一つ変えることは出来ません。じれったいですけど…。
      (ペットの販売方法、パピーミルの問題などは、毛皮と同時に解決していくべきですが)

      なにごとも、一歩一歩、変えられそうなところから変えて行く。
      その一方で、より進んだ考え方を啓蒙していく。
      ただし、別の考えを非難するのではなく、こういう考え方もある、と、聞く人に判断を委ねる形にする、というのが、私は一番足を引っ張り合わず、現状をベストは無理でもベターにする唯一の方法なのじゃないかな、と思います。

  4. そういえば、ペットショップで動物を購入するのは確かに「生きている」おもちゃを買う感覚に似ているかもしれませんね、、。何だか新しい考えのように捕らえてしまいました。そうやって手に入れたペットはやはり「おもちゃ」として扱われてしまうのでしょうか、、。私は子供が世話に飽きたりするのを聞いて「ペットはおもちゃじゃないんだから!」といってきましたが、もしかしたら飼い主は正当に対価を払った「おもちゃ」という意識だったのかもしれません。私は引き取ってほしいといわれた場合とか、レスキュー、野良猫、などしか飼ったことがなかったので愛玩道具(?)という意識がありませんでした。シェルターは常に満杯でしかも安楽殺もされているので、さらに「生産」して売るというのは私はまったく賛同できません。もし「生産」したのであれば人間が勝手に「生産」してしまったのですから大切にしなければなりませんよね。無駄に勝手に「生産」しないのが一番だと思うので、生きているにしろ死んでいるにしろ「生産」しないに一票です。なのでNo毛皮Noペットショップ(生きている動物を売るという意味で)。

  5. ピンバック: 東急ハンズで売られているリアルラビットファー(ウサギ毛皮)素材にもの申す | The Garden of Ethel

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