追悼

友人の家族であったウサギが、七歳二ヶ月で亡くなった。

彼女は私達より先にウサギとの付き合いが始まり、私達がウサギと共にくらすようになるきっかけをくれた人だ。

彼女にとって、その小さな友達は唯一無二のパートナーだった。

痛みはそう簡単に去るものではないけれど、少しずつでも、気持ちが未来に向かっていくことを祈りたい。

友人の家族であったウサギが、七歳二ヶ月で亡くなった。
彼女は私達より先にウサギとの付き合いが始まり、私達がウサギと共にくらすようになるきっかけをくれた人だ。
彼女にとって、その小さな友達は唯一無二のパートナーだった。
痛みはそう簡単に去るものではないけれど、少しずつでも、気持ちが未来に向かっていくことを祈りたい。

彼女のうさぎは、非常に我慢強い子であり、様々なトラブルにもかかわらず本当によく頑張った。

腫瘍で後ろ足が動かなくても、前足だけでペレットに向かって走ってきた、という。

亡くなるひと月ほど前にWebに掲載されていた写真の中で、彼女(メスウサギだから)の瞳は未来になんの不安もなく澄んでいた。その事に、私は驚いた。

ロスは、体が動くようになっても、あんなに悲しげな表情をしていたというのに。

ウサギというのは、自由に体が動かなくなると、簡単に生きる事への執着が薄れてしまう、言わば諦めの早い生き物だと思っていたのに、その小さな黒い瞳は、そんな思い込みを完全に否定した。

よほど、友人が可愛がっていたのだろう、と思う。

だから、どれほど病状が悪化しても、側を離れたくなかったのだろう。

それなりに苦しかったのかもしれないが、現在に満足している、そんな表情だった。

我が家のウサギたちは、すぐに、悲しそうな顔をする。

(プチだけはそういう表情をしないが……人に懐かない代わりに、どんな時にも、澄んだ瞳をしている、野性的な強さがある)

体調が悪いのか、扱いが悪いと怒っているのか、そのどちらもなのか、わからないまま一生懸命ご機嫌をとり、愉気をしてやる。

大抵は、それで翌日には変わるのだけれど、ロス(一代目)はそう簡単に変わってくれない、難しいところがあった。

「ウサギのくせに躁鬱なのかね」と冗談めかしていたが、最後の数ヶ月は、何をやっても、どれだけ真剣に向き合っても変わってくれず、どうしたらその瞳を輝かせてやれるのか、どうにも方法がわからなかった。

最後まで、彼女のウサギにきれいな瞳をさせていた友人に、心から拍手を送りたい。

追悼、と書いたけれど、この言葉は、この場合、あまり似合わないと思う。

彼女のウサギは、7年2ヶ月の一生を十分に生き切ったと思うから。

彼女が一番辛かった時期に、常に側にいて彼女をささえてきた、その小さなうさぎの代わりが居ない事は百も承知だけれど、色々と健康管理が難しいウサギをそこまで十分に生かしてやれた彼女が、他の小さな命と出会うきっかけがあればいい、と思う。

そのときには、少なくともひとつの命が、幸せな一生を送れる事になるのだから。

我が家の2代目ロスは、「まんごろし太」だの、「ハム」だのと言われながらも、随分と我が家に馴染んできたようだ。ポテトチップスの袋には目の色を変えるし、アイスクリームはなめるし、まことアメリカンなウサギだが(そんなもの普通は見向きもしないと思うのだが……事実、1代目ロスは匂いを嗅いで終わりだった)最初みた時の悲しそうな表情はこのごろしなくなった、と思う。

うちよりもずっと良いホストファミリーも勿論あるだろうけれど、彼がうちに来てくれたことで、また別の不幸なウサギがHRSに引き取られる可能性が出来た。勿論、人の悲しみはそんな理屈でどうなるものでもないけれど、少なくとも私は、その悲しみの時間をむしろ他のウサギを幸せにする事に使いたい、と思った。

それは多分逃げであるのだろうけれど……

でも、そのことを責める(かもしれない)ロスの声はどのみちもう私には届かないのだから、ゴメンネ、とロスに謝って、許してもらっているつもりでいる(本当に許してもらっているかどうかは勿論分からないけど)。

友人はどうだろうか、と思う。

一人で悲しみを抱え続けるのは、本当に辛い。泣いても泣いても、きっとそう簡単には癒されないだろう。

彼女が、彼女自身に別の命を幸せにできる可能性があることに気付いてくれるといい、と、心から願う。
彼女のうさぎは、非常に我慢強い子であり、様々なトラブルにもかかわらず本当によく頑張った。
腫瘍で後ろ足が動かなくても、前足だけでペレットに向かって走ってきた、という。
亡くなるひと月ほど前にWebに掲載されていた写真の中で、彼女(メスウサギだから)の瞳は未来になんの不安もなく澄んでいた。その事に、私は驚いた。
ロスは、体が動くようになっても、あんなに悲しげな表情をしていたというのに。
ウサギというのは、自由に体が動かなくなると、簡単に生きる事への執着が薄れてしまう、言わば諦めの早い生き物だと思っていたのに、その小さな黒い瞳は、そんな思い込みを完全に否定した。
よほど、友人が可愛がっていたのだろう、と思う。
だから、どれほど病状が悪化しても、側を離れたくなかったのだろう。
それなりに苦しかったのかもしれないが、現在に満足している、そんな表情だった。
我が家のウサギたちは、すぐに、悲しそうな顔をする。
(プチだけはそういう表情をしないが……人に懐かない代わりに、どんな時にも、澄んだ瞳をしている、野性的な強さがある)
体調が悪いのか、扱いが悪いと怒っているのか、そのどちらもなのか、わからないまま一生懸命ご機嫌をとり、愉気をしてやる。
大抵は、それで翌日には変わるのだけれど、ロス(一代目)はそう簡単に変わってくれない、難しいところがあった。
「ウサギのくせに躁鬱なのかね」と冗談めかしていたが、最後の数ヶ月は、何をやっても、どれだけ真剣に向き合っても変わってくれず、どうしたらその瞳を輝かせてやれるのか、どうにも方法がわからなかった。
最後まで、彼女のウサギにきれいな瞳をさせていた友人に、心から拍手を送りたい。
追悼、と書いたけれど、この言葉は、この場合、あまり似合わないと思う。
彼女のウサギは、7年2ヶ月の一生を十分に生き切ったと思うから。
彼女が一番辛かった時期に、常に側にいて彼女をささえてきた、その小さなうさぎの代わりが居ない事は百も承知だけれど、色々と健康管理が難しいウサギをそこまで十分に生かしてやれた彼女が、他の小さな命と出会うきっかけがあればいい、と思う。
そのときには、少なくともひとつの命が、幸せな一生を送れる事になるのだから。
我が家の2代目ロスは、「まんごろし太」だの、「ハム」だのと言われながらも、随分と我が家に馴染んできたようだ。ポテトチップスの袋には目の色を変えるし、アイスクリームはなめるし、まことアメリカンなウサギだが(そんなもの普通は見向きもしないと思うのだが……事実、1代目ロスは匂いを嗅いで終わりだった)最初みた時の悲しそうな表情はこのごろしなくなった、と思う。
うちよりもずっと良いホストファミリーも勿論あるだろうけれど、彼がうちに来てくれたことで、また別の不幸なウサギがHRSに引き取られる可能性が出来た。勿論、人の悲しみはそんな理屈でどうなるものでもないけれど、少なくとも私は、その悲しみの時間をむしろ他のウサギを幸せにする事に使いたい、と思った。
それは多分逃げであるのだろうけれど……
でも、そのことを責める(かもしれない)ロスの声はどのみちもう私には届かないのだから、ゴメンネ、とロスに謝って、許してもらっているつもりでいる(本当に許してもらっているかどうかは勿論分からないけど)。
友人はどうだろうか、と思う。
一人で悲しみを抱え続けるのは、本当に辛い。泣いても泣いても、きっとそう簡単には癒されないだろう。
彼女が、彼女自身に別の命を幸せにできる可能性があることに気付いてくれるといい、と、心から願う。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。