ロスが月に帰ってしまってから、三日が過ぎた。
忘れないうちに全てを書き留めておかなければ、と分かっていても、この三日間、どうにも彼の事を思い出すのが辛くて、手がつけられないでいた。
漸く、今日になって、彼の祭壇に写真を添えられるような気がしてきたので、今まだ記憶の薄れないうちに、覚えている事を書き留めておこうと思う。
ロスは、この春、幸運にもエンセファリトゾーン症の危機を乗り切った。
曲がった首も完全に回復し、少なくとも寄生虫による後遺症は見られなかった。
車で十分の距離に、二十四時間対応の獣医の大学病院があり、小動物を扱う専門の医者がいる環境でなければ、多分違う状況になっていたと思う。そして、我々が住んでいる同じアパートに、その大学の獣医科に所属するドクターコースの友人がいた。彼女の助けで、ロスは夜中に発症したにもかかわらず、僅か4時間で医者の診療を受け、その場でエンセファリトゾーンとの予備診断が下された。
これが如何に幸運な状況であったか、エンセファリトゾーン寄生虫の事を良く知らない獣医も多い現状を思えば明らかだろう。私は彼が非常に運の強いウサギだと思った。日本に居た頃には、考えられない環境であったから。
だが、ロスはその後僅か3ヶ月で、同じ病院で息を引き取った。
ロスの死因は、麻酔による呼吸器官の麻痺だった。
つまり、麻酔から醒めなかった、という事だ。
だが、その麻酔は、必要に迫られたものではなく、去勢手術という、行わなくても命には別状のない手術のためにかけられたものだった。
病院がこれほど近くなく、信頼できる獣医がいなければ、おそらく去勢手術には踏み切らなかっただろう。
そう思うと、彼は本当に運が強かったのか、と、疑問に思う。
医学的な詳細は、別のカテゴリーに改めて書くとして、ここには今書いておかなければならない別の事を書こうと思う。
それは、何故、ロスに去勢手術をしよう、という決断をしたか、ということだ。
つまり、ロス本人の事ではなく、私自身のことになる。
まだ彼が逝ってから三日、十分に冷静な判断が出来る状態ではないのかも知れないが、どうにも、私には今回の事が、起こるべくして起こったような気がしてならない。
それは、私の気持ちが、そういう風に向いてしまっていた、ということだ。
同居の仔牛は、最初からこの手術に疑問を持っていた。それを、後押ししてしまったのは私の強い態度であったと思うから。
エンセファリトゾーンの駆除薬であるoxibendazoleの処方が終わったのが、4月下旬だった。
症状がなくなり、元通り元気になったと見えたのは、その二週間前で、その頃にはロスは、一月前に頚が曲がって座る事も出来なかったとは思えない回復を見せていた。
このとき、ロスは再度血液検査を行い、その結果によって、投薬を続けるかどうかを決定することになっていた。
ところが、何故かその結果の連絡が来なかった。私が辺境の場所に出張していたため、もしかしたら、電波が届かない所があったのかも知れない。電話をして聞けばすむ事だったのに、もともと間が悪ければ一週間以上かかる検査だったのと、連絡がないということはもう薬は要らないということなのだろう、とつい日本的考え方をしてしまい、一ヶ月以上も連絡をとらなかった。
その間に、Madisonは一年でもっとも蒸し暑い6月にさしかかり、私は日本に出張中に、Madisonに残っていた仔牛から、ロスがひどく参っている、という報告を受けた。クーラーを全開にしてもおいつかない高温多湿で、どうにもならなかった。
ただ、彼はもとから湿度に弱いウサギで、蒸し暑い時期にはいつもぐったりしていたので、私はこの時期は仕方がない、と思っていた。勿論大病を煩ったあとで、心配はしたが、湿度が下がれば状況は改善すると信じていたし、事実その通りだった。
ただ、改善したとはいっても、やはり蒸し暑い夏である事に変わりはなく、彼は10グラムのペレットを一度に完食出来なくなっていた。普通に歩くし、エサをねだりには来るが、いまひとつ体力が持続しない。ぐるぐると円を描いて駆け、ぴょん!と跳ね上がる仕草も、しなくなっていた。
この頃心配していた事に、ロスが水を飲む量が圧倒的に他の二羽のウサギよりも少なかった、ということがある。日本出張中の6月には、殆ど水を飲まず、尿の量も非常に少ない、と報告があった。
だが、それも、私がMadisonに戻った頃には改善し、以前として水を飲む量は少ないものの、特に心配するほどではなくなってきていた。それが明らかに湿度と気温に連動しているように見えたので、私達はクーラーをまめにつけて、なるべく気温25度以下、湿度65%以下を保つようにした。
ただ、尿をしようとトイレに行くものの出ない、とみられる動作があり、私達は結石の可能性を疑っていた。石は尿が少ないウサギに出来易いと聞いていたので、水を飲む量をいつも気にしていた。
思えば、このときに、何かがおかしい事に気付くべきだった。
他の二羽のメスウサギ、えせるとプチは、気温か湿度(気温や湿度、ではない)が高くなると、水を飲む量が増えるのだ。
ロスは普段から彼女達より水を飲む量が圧倒的に少ない。だが、今思い返してみれば、去年は暑くなれば、少し水を飲む量は増えていた。湿度が上がっても同じことだ。
だが、私は、春の後遺症でまだ少し元気がないのだろう、と、そのことの意味を深く考えなかった。
ロスは、家で寝そべっている時間が多く、甘い果物にも以前ほど喜んで飛びつかなくなっていた。
ペレットの音がすれば、喜んで走って来る。が、5gも食べないうちに休んでしまう。時間がたてば全て食べるが、与えたペレットをあっという間にたいらげ、他におちていないかと探しまわっていた彼からすれば、異常事態といってよかった。
それでも、その時、私は、父が大病を煩った直後に食事量が少し減り、それで十分足りる体になった事を思い出し、同じ事がロスにも起こっているのだろう、と考えていた。
もともと、食べる事とメスウサギにしか興味がなかったロスの興味は、食事への執着が薄れ、メスウサギ一辺倒になった。
彼女達が見えないよう柵にカーテンをかけて隠してはいるのだが、そのカーテンの向こうで、じっとメスウサギの居る方向を見詰めている。
一日のうちの殆どを、そうして悲しげな瞳で見詰めている。
ケージの外へ出していると、そうして柵の際に蹲ったまま、草も殆ど食べない。
そもそも、エンセファリトゾーン症の発症には、ストレスも大きく関与している、と私達は聞かされていた。
エンセファリトゾーン寄生虫自体は、かなりのウサギが持っている、と言われている。ただ、健康であれば発症しないので、死ぬ迄発症しないウサギも多い。
元来健康優良児だったロスがこんな病気になった原因と言われれば、メスウサギの匂いばかりして近くへ行けないストレス以外に我々には考えられなかった。
こうして、もはやメスウサギ以外に生きる楽しみも見つけられなくなったように見えるロスを毎日眺めているうちに、ついに私はずっと躊躇っていた事を実行すべきだ、と考えるようになった。
つまり、ロスの去勢だ。
えせるに避妊手術をしたのが、2年前。実際にはお腹に子供がおり、中絶手術となって大量出血し、思いがけない大手術となって暫く手術に対する恐怖があったが、2年がすぎ、娘のプチと一緒に過ごすえせるの体調は目に見えて避妊手術前よりも安定した。
出産の度に体に負担がかかるえせるはともかく、ロスの種はできたら残しておきたい、と思い去勢を躊躇ってきたが、どのみちエンセファリトゾーンにかかってアルベンダゾールを処方したウサギで繁殖はできない。
ロスも、おそらく、老後は他のウサギの居る場所で、お互いにウサギにしか分からない部分を庇い合って暮らした方がいいだろう。そう考えるようになった。
手術は、気候が落ち着く秋頃に。そのときは、そう考えていた。
状況が変わったのは、7月の初頭のことだった。
病院から、覚えのない請求がきた。聞けば、それは4月末に処方されたオキシベンダゾールの代金だという。
つまり、血液検査の結果、その時の担当医師は薬を続けるべきだとの判断を下していたことになる。
そんな事とはついぞ考えなかった私達は、4月末に薬が切れた後、ロスに何も薬を与えていなかった。
結局、再度診療を予約して、今後どうするかを相談することとなった。
診療予約から1週間して、ロスを三回目の診察に連れて行ったのが7月中旬。
このとき、私は初めて獣医学部の友人に最初から名前をきいていたドクターに会った。
彼女は、犬猫以外の小動物の専門だと聞いていて、評判もよい、とのことだった。
ウサギの扱いも、あきらかに以前に診察してもらったドクターより慣れている。
彼女は、ロスの状態をみて、見た所健康で問題ない、体重も十分にあるし、と言った。
エンセファリトゾーンは、もともと駆除が難しい。一度寄生されたら、症状を抑えるしか方法はない、と言われている。
薬については、やはりオキシベンダゾールでも肝臓を痛める事には変わりなく、長期薬を使用すると寄生虫の方に耐性が出来てしまうため、症状がみられないのなら処方をやめてかまわない、という判断だった。
私達は、ロスの尿が出にくいように思われること、少々食欲が落ちているように見える事などをを話し、最後に去勢手術の可能性について尋ねた。
「秋頃に、去勢手術をしようかと考えているのだが、エンセファリトゾーンに寄生されている状態で大丈夫か」と。
ドクターは、今日血液検査をして、その結果をみなければ最終判断は下せないが、問題ないだろう、と答えた。
そうして、ロスがメスウサギの方ばかりみてストレスを抱えているように見える事などを話すと、血液検査の結果は今日中に出るから、帰りに手術の日を予約していくことを勧めた。
このとき、(英語で)どういうやりとりをしたか、自分でもよく覚えていない。
私としては、
1)湿度、気温の高い夏に
2)エンセファリトゾーンに寄生されている状態で
手術を行って大丈夫か、ということを、少なくとも2度は確かめたつもりだ。だが、それがはっきりドクターに伝わったか、自信はない。
ドクターは、それでも問題ない、と言った。みたところ彼は健康なウサギだから、と。
このときに、私の心は、手術をすぐに行う方向で決まってしまった。
これほどウサギに手慣れてみえる先生が、健康だと言うのだから、ロスは全盛期ほど元気ではないかもしれないけれど、まだ健康なウサギの部類に入るのだろう、と。
けれど、医者が見るのは、多くの個体のある一時期、しかもその殆どが何か疾患を煩っているウサギだ。
そんな中で、ロスのように数値的に何の問題もなく(結局血液検査も全て正常値だった)、痩せすぎても太ってもいないウサギは、健康に見えて当たり前なのだ。
ロスが逝った後、ドクターは、こんな例は非常に稀だ、と、彼女も驚いている事を伝えてきた。
彼女が執刀したオぺで、エンセファリトゾーンのウサギも居たが、問題はなかった、ということらしい。
だが、彼女はロスが元気だった頃の姿を知らない。
自家繁殖のポリシーのあるウサギ屋出身のロスは、もとの元気のレベルが、親元から2週間で離されてしまう流通ウサギとは異なる。
ロスは、明らかにベストの体調ではなかった。私達はその事を報告はしたが、既に心が手術の方向に向いてしまっている私は、それが手術を妨げるほどのものだとは、考えなくなっていた。
従って、その語調は、ドクターに再考を促すほどのものにはなりようもなかった。
ロスがメスで、お腹を開ける手術をするのであれば、私はもうちょっと慎重になっていたかも知れない。
だが、雄の去勢は簡単だと、そればかり聞かされていた私は、手術自体の難易度は低くとも、その時にかける全身麻酔の危険に全く注意が及ばなかった。
ロスが実は既に4歳で、普通ウサギを去勢する年齢よりも3年以上遅れている事も、何故か全く考えになかった。(勿論ドクターもそのことは知っていたのだが)
秋迄待てば、もっと安全だ、ということは、診察前には当然のように考えていたのに、今でも大丈夫だ、という方向に頭が向いてしまった。
仔牛は、秋の方がいいのではないか、と疑問を投げかけたが、私は、明らかに手慣れてみえる今回のドクターに執刀してもらえるならその方がいい、と主張した。
エンセファリトゾーンの時には、医者の判断だけでは安心できず、Wisconsin House Rabbit Societyの世話人や整体の先生、ロスを引き取って来たウサギ屋の店長にまで連絡をとって意見をきき、自分で医学論文を読む事までしたというのに、今回は獣医学部の友人にさえ相談しなかった。
一度、思い込んだらその方向に固執する、しかも巧妙にその方向を支持する根拠を見つけ出す、私の悪い癖が、一番悪い時に出てしまった。
この週は、もう秋になってしまったのではないかと思うほど、涼しく湿度の下がった週だった。
勿論、ロスの体調もそれまでより安定していた。
ところが、手術の予約を入れた一週間後、Madisonは再び蒸し暑い夏に戻ってしまった。
手術前日の水曜の夜、冷房で湿度を下げ、少し元気が出たロスに、最後のペレット10gを与えた。
前日の夜10時以降に固形物を与えるなと言われていたからだ。
ロスはやはり一度に全部を食べる事が出来なかった。それでも、これから半日は何も口に出来ないのだから、と、のんびりねそべっている所の口元にペレットを撒いてやると、ロスはねそべった格好のまま、口だけを伸ばしてペレットを食べた。
なんとズボラな奴だ、と私達は笑った。それはとてもロスらしい光景で、ビデオに納めておかなかったことを、今も後悔している。
結局、それでも彼は10g全てを食べる事はできず、2gほど残した。ケージに仕舞い、相変わらずあまり水を飲まないロスが心配になって、固形物でなければ、と夜中にローヤルゼリーを少量解いたオレンジジュースを少し飲ませた。
ロスは暫く、オレンジジュースにもそれほど興味を示さなくなっていたが、このときは何度も皿に戻って来てオレンジジュースを舐めていた。
寝る前、私は鏡の中に写った自分を見て、ひどく肩が上がっているな、と感じた。
肩が上がっているのは緊張姿勢、力がうまく抜けなくなっているのを意味する。
何をそんなに力んでいるのか、自分でもよくわからなかったが、よくない徴候だな、と思った。
だが、原因がよく分からない。よくわからないけど、明日ロスの手術が終わって、ロスの回復に神経を集中すれば、自分の体も整ってくるだろう、その程度にしか考えなかった。
明方、トイレに起きてつまづき、派手に転んだ。何かおかしい、体が鈍っている。そう思ったが、それでも、深くは考えなかった。
肩が上がっているということは、重心が上に上がっている、ということでもある。
私の体癖の場合、重心が上に上がりすぎると、思考が硬直する。
良くない徴候だ、と思った時に、もしそのことを思い出していたら、自分の思考や決定に疑問を抱き、再考していただろうか、と今になって考える。
おそらく、答えは、ノーだろう。
思考が硬直するというのは、そういうことだからだ。
今回のあまりにも痛い失敗が、この先の人生で同じような局面に出会った時、同じ道を歩む妨げになるよう、胆に銘じておくくらいのことしか出来ない。
木曜日、むっとして久しぶりに雲がたれ込める中、ロスは朝9時に病院につれていかれ、ドクターに引き取られて手術室に入った。
私は職場へ、仔牛は学校へ行き、数時間後あるはずの電話連絡を待っていた。
私自身は、成功の連絡以外の可能性を全く考えていなかった。少々遅いな、とは思ったが、手術後すぐに連絡があるとは限らない、と思っていた。
だから、電話を受けて、「We have bad news」という言葉を聞いた時にも、全く何のことだか分からなかった。
「He didn’t wake up」という言葉が聞こえ、それが過去形であることに、初めて愕然とした。
えせるの時には、彼女に子供が居た事、それで大量出血した事を聞かされ、「But she is OK」と言われたのだ。
それが、いきなり、過去形で語られ、去勢手術そのものは何も問題なく終了したが、麻酔から目が覚めなかった、と言われた。
つまり、もう彼は逝ってしまったのだ、と悟った時、そんな馬鹿な、ドラマや小説でもあるまいし、と咄嗟に思った。
そうして、初めて、もう一つの明るい可能性しか考えなかった自分の、硬直しきった思考の方が、まるで小説じみているではないか、と悟った。
現実は、そう自分の思い描く通りに動くものではないのに、自分の筋書き以外の可能性を全く考えなかった。
その事に気付いた時、漸く、電話の声が現実だと、実感が襲って来た。
いつから、それほど思考が硬直してしまったのか、自分でもよく分からない。
ただ、去勢するという方向に心が向いていってしまった一番の理由は、焦りだっただろう、と思う。
ロスが、目を輝かせる事が、本当に少なくなっていたこと。
大好きだったバナナをやっても、以前のように怖い程目を輝かせて夢中にならない。
外の芝生に放してやっても、疲れてすぐに家に戻って来てしまう。
そうして、姿も見えないのにえせるやプチの居る方向ばかり眺め、悲しげな瞳をしている。
体に触っても、後頭部の皮がいやな感じで緩んでいるという事以外に特におかしな感じはなく、何をすればロスを楽しませてやれるのかが分からない。
頭を愉気すれば気持ちよさそうにはするが、緩みは消えてくれない。
結局、もう、同じウサギであるえせるに任せるしかない、というふうに考えていた。
それはおそらくその通りだったのだと思うが、手術を急いでしまったのは、やはりそういうロスを見ている自分が辛かったからだろうと思う。
勿論、ロスにも一刻も早く楽しい毎日を過ごさせてやりたいと思っていたのは本当だが、どうしていいのかわからない、という焦りもあった。
それが、たかだか秋までの数ヶ月が待てないほどであったというのは、やはり、それ以前に自分の体が硬直していた、ということなのかも知れないが……
今年は、出張が混んでいて、五月末から2週間、7月初頭に11日間、それぞれ日本とメキシコのユカタン半島へ出張になった。
気温差も湿度差も、相当に気合いを入れないと体調を崩すには十分、その二つの出張の間は仕事の締め切りに追われて度々仕事場に寝袋を持ち込んで寝るような始末で、意識的にへたるまいと緊張していた部分は確かにある。
出張から戻ると仔牛も体調を崩していて、体を十分に休める暇はあったが気は抜けなかった。
焦りは、そういう緊張状態から来ていたのかもしれない、とも思う。
それにしても、手術の前日に見たあの異様な肩の上がり方は、今でも本当に理由が分からない。
それとも、以前から上がっていたのに、それに気付かないほど硬直していた、ということなのか……
金曜日、ロスは剖検にかけられた。
剖検の結果のプレゼンテーションを見せて欲しい、とメールを送った私に、ドクターは直接電話をくれ、結果の検討は解剖室でやるので外部者は参加出来ないが結果レポートは送る、と約束してくれた。
そして、検査の結果、肺に気泡のようなブツブツがかなり広がっていた、と教えてくれた。
細菌性のものなのか、原因はこれから調べるという。
それで、いくつかの事に思い当たった。
いくらロスが湿度や高温に弱いとはいえ、この夏の彼の様子は弱すぎた。
Madisonの夏が蒸し暑いといっても、日本の比ではない。
もし、肺に問題があり、呼吸が苦しかったのかもしれないと考えると、色々なことが説明出来るような気がする。
体が重そうで、飛び回れなくなっていた事。
気温が24度程度、湿度55%程度でも、呼吸がやけに早かった事。
昔は始終自分の毛皮を舐めていたのに、あまりそれをしなくなった事。
水を、口をつけて勢い良く飲めなくなっていた事(水を飲んでいる間は呼吸できないから)。
ロスは昔から給水ボトルが嫌いで、皿から水を飲んでいたが、その時には口をべったり水につけて、ごくごく喉を鳴らして飲んでいた。
でも、最近は、舌を出して、ぺろぺろ舐めるような飲み方しかしなくなっていた。
ドクターは、呼吸の機能が回復しなかった、と言っていた。段々呼吸の振幅が小さくなり、それから心臓が止まった、ということだった。
酸素マスク、心臓マッサージ、脳に刺激を送る、などあらゆる事を試してみたが駄目だった、と。
呼吸の指令を送るのは脳だから、エンセファリトゾーンにより呼吸系を司る部分が既に浸食を受けており、麻酔で更にダメージを受けてしまった、という可能性もある。
詳細は数週間後に分かるだろうが、もし脳に何もなくとも、同じ事は起こりえただろう、と思う。
呼吸は全ての生命活動の基本であって、それが十分に出来ない状態は体調が良いとは言えない。
整体の先生は、体調が悪ければ、麻酔の適量は変わる、と仰っていた。
つまり、あの日のロスには麻酔が深すぎた、ということなのかも知れないからだ。
整体師でもない私達にとって、それらの一見些細に見えるバラバラに散逸した情報をかき集めて一つの結論を出す事は容易ではない。
でも、それを診察時ほんの十数分診るだけの医者にやれというのは、不可能に近い。
一番近くにいる人間が、自分でやるしかない事だというのは分かっていたはずだが、それを全部放り出して他の誰かの判断に頼ったというのは、矢張り私自身がそうして投げてしまいたかったのだろうな、と思う。
今必要というわけではなかった手術で大切な命を失った。
それは、とても重い現実だが、それに気を塞がれている暇があったら、残り二羽のメスウサギ達が同じ運命を辿らないよう、今出来る事をやるしかない、と思う。
それでも、一度悪いサイクルにはまってしまった思考をもう一度リセットするのは簡単な事ではなく、それが出来る状態なら硬直しているとは言わないのだ、という事も重々分かっているのだけれど……。
可愛かったロスの面影が、その輪にはまる前にブレーキをかけてくれるよう、都合のよすぎる願いだけれど、天国のロスにお願いしている。
この記事以前にある仔牛さんの記事を読み、体が震える思いがしました。余りにも私と同じ感覚だったので・・・
私の分身が書いたのだろうか?と思ったほどです。
ろし太ちゃん、残念でしたね。
もぐらさんのお月様組とうちのラパンはやはりお月様でお友達になっているのだと思います。
きっとそうです。
気持ちの部分が余りにも酷似していますから。
仔牛の方がストレートというか、現実に向き合う強さがあるように思います。辛いことをちゃんと辛いと口に出して言える、または、その辛い気持ちに真正面からぶつかる力があるんです。
一方、私は、暫くはその辛いことにはフタをして見ない傾向があって、半年くらい経ってから当時を振り返る、という感じです。
当時は、仔牛が書いたツブヤキもなかなか見れませんでしたし、魂の抜け殻のような仔牛を見ているのも正直しんどかったですが、今となってみると、こうして仔牛が書いておいてくれたお陰で、当時の記憶が風化せずに済んでいるのですね。
こういうとき、一人ではなくて本当に良かったと思います。
お月さまでは今頃賑やかでしょうね(笑)ブログを通じて知り合ったお月さま組が沢山いますから!