福島原発20km以内の家畜について、ついに安楽死処分とする農水省の方針が発表されました。
東日本大震災について~東京電力福島第一原子力発電所の事故に伴う警戒区域内における家畜の安楽死処分について~
やっとか、という感じです。
評価出来る部分もありますが、不満もあります。
まず、評価出来る部分は、殺処分ではなく、「安楽死」と明確に書かれている点です。
先の宮崎の口蹄疫のときには、パコマという逆性石鹸(界面活性剤、水に溶けると陽イオンを生成するため、陰イオンを生成する石鹸の逆という意味でこう呼ばれる。消毒薬として用いられるとのこと)を致死量注射する方法が多くとられました。
その前に鎮静剤を打ちますが、意識がなくなるわけではなく、死ぬまでに動物が苦しむので安楽死とは言えない、という意見がtwitterなどで広まっています。
私自身は、逆性石鹸による薬殺(毒殺というべきかもしれませんが)がどのくらいの苦痛を伴うものかに関する信頼出来る情報源を見つけられませんでした。
ただ、実際に使用した個人の方のブログ等で、大動物は一度に致死量を投与するのが難しく、死に至るまでもがく、暴れるなどのケースが報告されているようです。
今回は殆ど人災と言ってよい事態ですし、数も宮崎口蹄疫の時ほど多くありませんので、是非動物に苦痛がない方法を検討していただきたいと思います。
なお、動物の安楽死に使う薬品については、以下のまつもと動物病院の先生のブログに説明がありました。
大動物の安楽死(殺処分)について
一方、不満の方は以下の通りです。
- 現時点でのスクリーニング検査を行わず、一律に20km以内の家畜移動禁止としていること
- それにより、実質現在も状態がそれほど悪くなく、かつ被曝量が少ないと思われる家畜も安楽死の対象とせざるを得ないこと
- 今回の公示は国としてすべき事のうち、最低限のラインを漸く公表したにすぎず、この程度の公示であったら、警戒区域指定前に出せたのではないか、ということ
取りあえず、3番目から。
この公示に、脱力された方も多いと思います。
ここまで長引いたのは、国も農水省も動物達を生かすため試行錯誤をしていて、その結果やっぱり安楽死しかない、という結論に落ち着いたのだ、と思いたいですが……
どうも、そういう空気を感じない。
日本高度動物医療センターにアップロードされていた、IFAW会議からの提言書を見ると、「20キロ圏内の家畜を救助し、移動する、または人道的に安楽死させる必要 がある。」と書かれています。
「または」というのは微妙な表現で、英語ではどういうディスカッションがされていたのか気になりますが、日本政府がこれを「どちらか一つを選べば良い」と解釈したのなら、非常に残念です。勿論、簡単な選択ではなかったと思いますが、心情的に簡単ではなかった、というのと、実際に安楽死を回避するために行動したか、というのは別の話なので。
より問題だと思うのは、1)2)の方ですが。
20km圏内の動物を全て同等に扱うことについて、農水省が主導しているのか、原子力保安院が主導しているのかは分かりません。
しかし、これは非常にナンセンスである上に、はっきり言って被曝差別、風評被害を助長するもの以外のなにものでもない、と思います。
先に救出された馬の例のように、20km圏内でも、スクリーニング結果がゼロの個体がいます。
逆に、20km圏外でも、生乳から基準値以上の放射性セシウムが検出されています。
では、この牛が廃牛となり、肉になった場合は?
現時点では、肉から基準値以上の放射性物質が検出された、という報告はありません。
そもそも、20km以内の動物は移動すらさせてもらえず、今も比較的元気な個体ですら安楽死処分、と言っているのに、21kmのところの家畜は動かしたり、食肉にしてもいいのか?
誰だって、本当は何キロメートルくらいまでが危険なんだ、と疑問に思うでしょう。
(放射線量の高い地域は同心円状ではないので、それすらも指標になりませんが)
つまり、距離による制限はまったく意味がないのです。
また、被曝動物の周囲の人間や、その農産物を食べた人が被曝するかどうか、という点に限って言えば、過去にその動物が被曝したかどうかすら、全く関係ありません。
現時点での、放射性物質の含有量、実際に持ち出す対象物(あるいは動物)のスクリーニングの結果が全てで、それは放射線の性質を考えたら、隠蔽とかごまかしとか関係なく、当たり前のことなのです。
(研究者は「過去に被曝した動物を食べた場合の影響についての研究はない」と言うかも知れませんが、遺伝子組み換えレベルに細胞が変質するほど放射線を浴びたのなら、その動物はとうに死んでいます。また、一度放射性でなくなれば、セシウム、ヨウ素とも自然界に存在する元素で、普通に我々も普段から微量は取り込んでいます。)
このことをきちんと動物に対して行わず、それを国民に公表しないから、福島の方がいわれのない差別を受けたり、スクリーニング結果で問題ないとわかっている30km圏外の動物達の受け入れ先で、大反対が起こったりするんじゃないでしょうか。
現実に、ネットで、生乳の出荷制限が続いている地域の乳牛の廃牛が続いている事について、「生乳は出荷制限されているのに、その牛の肉は食べても安全なのか」という質問を見かけます。
皆、精肉となった時点で基準値以上の放射性物質が検出されれば、市場には出回らない、ということは分かっていると思います。
それでもなおかつ不安に思うのは、おそらく、「体の中にまだ放射性物質が潜伏しているかも」「なんか気持ち悪い」と、まるでウィルスか細菌のように放射線を考えている人が多いからだと思うのです。
- 放射線は、ウィルスや細菌のように、体内で増殖しません。感染もしません。
- したがって、「潜伏」できるような、つまり検査にひっかからないような微量であれば、そもそも問題になりません。
- つまり、僅かでも摂取すると危険、なのではなく、摂取したときが一番危険で、その後は危険度は減る一方です。
おそらく、殆どの方が、今回の事故が起きて初めて放射線被曝について色々学んだと思います。
つまり、放射線について勉強してから、まだ数ヶ月しか経っていないわけです。
人は、知識を得ることは比較的短時間に出来ますが、とっさに感じてしまう恐怖のようなものは、知識によって簡単には駆逐されません。
上に書いたような事は、言葉で言われれば、殆どの方が「知っている」と答えるような事柄だと思います。
にもかかわらず、「本当に大丈夫なの?」と「つい」思ってしまう、その反応の積み重ねの行き着く先が、被曝差別になります。
人に対しても、動物に対しても、農作物にも、現在それが起こっています。
だからこそ、20km圏内で今も被曝し続けている動物達の被曝線量をモニターし、放射能除染の方法を探ることが大事なのです。
動物でそうできる、と証明できれば、人へのいわれない差別を抑えることが出来るかもしれないからです。
今回の20km圏内の家畜移動禁止制限のために、現在放牧地でまだ比較的良い状態で生き残っている動物達も、安楽死対象になりました。
いままで必死に家畜に餌をやりつづけ、命を繋いできた農家の方々の心中を思うと、本当にやりきれません。
何を選ぶにしても、重い決断になると思います。
行政、メディア、世論も愛護団体も、誰もが、彼らの選択を十分尊重して、決してそれを責めたりしないことを祈っています。
私は出来れば全ての見込みのある家畜に助かって欲しい、と思ってきましたが、当事者の農家の方々がどう考えているかについては、私などにはとうてい計り知れません。
むしろ、これほど救出運動が盛り上がってしまったために、もうこの問題から解放されたいのに、周囲の期待のために安楽死の決断が下せない、ということになってしまったら、それは本末転倒である、と思います。
一方で、やはり、うちの牛や豚は問題になるほど被曝していないのに、何故殺されなくちゃならないんだ、と疑問に思う農家の方がおられるなら、これからもなんとか政府が別の方法を探してくれるよう、出来ることはしていきたい、と思います。
これまで、被災動物の救済のため活動して来られた玉木雄一郎議員のツィッターで、以下のツィートがありました。
「先程、家畜の救出活動を共に行ってきた高邑勉衆議院議員と「サンクチュアリ・ファーム」、「メモリアル・ファーム」構想について改めて確認。20km圏内の家畜について研究目的や将来の復興段階での観光目的で生存の可能性を探る試み。白河にある独立行政法人家畜改良センターも候補として検討する。」
このような計画が上がるということは、諦めていない農家の方もおられるのだと思いますが…。
(ちなみに、玉木議員は貴重な種豚を東大農場に移すことに関しても尽力されたそうです。今後も、農家の方が残したいと強く思っておられる個体については、優先的にそうできると良いのですが…)
追記:
昨日の記事ですが、高邑勉議員のホームページによれば、南相馬の桜井市長は動物たちを殺さずに活かしていきたい、と思っておられるとのこと。文中の「案件」とは、上記の種豚の移動についてであると思われます。
決断、救われる命~寧ろ、これから
今は、あまりやみくもに安楽死反対を叫ぶのではなく、農家の方が本当はどうしたいのか、考える時間を確保するためにも、「協力が必要なら協力する、もし政府の決定を覆したいなら、そう運動する」ということだけ意思表示して、彼らの決断を待つときかな、と思います。
(もっとも、アニマルライツの立場に立つと、飼い主の方の意思も関係なく、動物の権利のために運動する、ということになりますけど…。このへんは、動物好きな方も様々なので、自分はどういう立場なのか、確認しておかないと煽られて着地点がわからなくなってしまいます。)
提言書には、こちらにコメントなさっていた今本先生の
報告が添付されていましたね。
かなり、覚悟のいる閲覧となりました。
こちらに伺うと、洞察の深さに感じ入ることが度々です。
それぞれの着地点が違うことを知ることを放棄したら、
何をするにも感情論に走り、協調できることさえ無くなってしまいかねませんね。
気になるのは、提言書にしても、ネット上では知ることができることも、
電波といったマス媒体で知ることが皆無ということです。
情報を知る権利のある当事者の方々の元に、
必要な情報が届いているのだろうかと心配になります。
iharaja さま、
身に余るお言葉を頂き、ありがとうございます(^^;)
毎回、間違ったことを書いたらどうしよう、と冷や汗をかきながら、それでも、多少間違っていても発信をしなければ、議論も起こらない、と思って書いています。
仰る通り、ネットでしか得られない情報が多いですよね。
(それもないよりはましなのでしょうが)
ただ、それでも声を上げ続けていれば、必要な方に実際に会う方に情報が伝わるかもしれない、と祈りつつ、出来ることをするしかないのかな、と思います。