えせるが月に帰ってしまってから、ずっと放置したままだったこのブログを毎日のように更新している。
これまでに月に帰ってしまった三匹のウサギ達の中で、えせるは比較的穏やかに見送ってやれた、と思う。
私達が目指していた、所謂自宅で老衰死、というのは残念ながら叶わなかったけれど……
失敗がまるでなかったわけじゃない。
なくなる25時間前、斜頸を発症してから、打てる手は全て打った。それでも、いくつかのミスはあった。点数にするなら、多分90点くらいだと思う。それでも、その残り10%のミスを犯さなければ、えせるはもう少し頑張ってくれたかも知れない。
医療の難しさを、思いがけず実感した。
お医者さんなら、この10%を激しく責められて廃業に追い込まれてしまうだろう。
私はどちらかというと東洋医学に傾倒している人間で、普段から西洋医学のあり方には少々懐疑的だ。
最悪の場合ばかり考えて、命の勢いみたいなものを見ようとしない。本人の生命力に任せるということをしない。
ずっと、そう批判的に考えてきた。
けれど、この10%を思い返した時、お医者さんというのは最悪の事態を考えざるを得ないのだ、という当たり前のことが、実感として心に染み込んできた。
非常にパラドキシカルな事ではあるのだけれど……
その実感が得られたときに、初めて、えせるは病気で逝ったのではない、これが彼女の全生だったのだ、とわかったような気がしたのだ。
発症当日の夜、まんごろし太と争ってペレットを食べていた。
よく動き、仔牛が作ったウサギ城の3階にも駆け上がっていた。
ふんだって、四匹のウサギ達の中で、一番りっぱで、乾いた丸いものを、大量にしていた。
そして斜頸を発症し、たった25時間で、思い切りよく月に帰ってしまった。
おそらく、本当にまだ生命力の余力がある子なら、倒れてももう少し頑張ったのではないかと思う。
プチのたてた物音にびっくりして逝ってしまうなんて、まだ生命力のある生き物の本来の姿ではないと思う。
だって、生き物は、どうしたって生きる方向に向かってしまうものだからだ。
そうして、彼女を失ってみて、漸く気づく。
えせるはもう半年以上も、あまり私達に自分から近寄ろうとせず、撫でてやってもすぐ飽きてどこかへ行ってしまうのを繰り返していた。
あんなに撫でられるのが好きな子だったのに。
ウサギ達を撮った写真は、ここ数ヶ月、えせるのベストショットと思われるものがない。
ピントはいつもまんごろし太やプチ、ルーファスに合わせられていて、画面の中のえせるは小さく脇添えの花のようだ。
人は、どうしても生命力の豊かな方に目を奪われる。人間でも、動物でも、存在感があるものはまだ生命力に溢れている。
もう何ヶ月も前から、えせるの存在感は少しずつ薄れていた。写真を見直して、そのことに初めて気づいたのだ。
ひとつの命が自然に終わる時というのは、必ずそのように存在が希薄になっていく。
そうして、生命力を全部使い切って旅立つ時には、本当に前日まで普通に喋り、普通に食べていたのに、朝になったら冷たくなっていた、という風に終わるのだ、と整体の先生から聞いた。
そして、それを「全生」と言うのだ、と。
「全生」とは、死の直前まで自然に楽しく生き、長く煩うことなくこの世を旅立つことだ。
もしかしたら、残りの10%も完璧にやれば、えせるの寿命はもう少し伸びたのかも知れない。
けれど、もし彼女が本当に生命力を使い切ってしまっていたのなら、その後の生はもはや抜け殻の生にすぎない。
それでも、彼女がその生を楽しんでくれるのなら、もちろんかまわないのだけれど……
斜頸の治療は、短くても一ヶ月かかる。いくら処置が早くても、脳の致命的な部分がもしやられていたら、曲がったまま戻らない可能性だってある。
彼女に、まだそれだけの闘病生活をする生命力があったか。
全て終わって、写真の束をみながら、もしかしたら、やはりこれが彼女の限界だったのじゃないか、と思う。
7年9ヶ月生きて、たった一日だけ斜頸になって逝ってしまったえせる。
多分、本人も、なにが何だか分からないうちに天国に来てしまった、という感じなんじゃないか、と思う。
そういう意味では、えせるの一生もひとつの「全生」の形だと思っていいのじゃないか。
そう思った。
……それでも、美人の銀色のえせるがいなくなってしまったのは、何かぽっかり穴があいたようで……
こうして、何かを書かずにはいられないのだけれど。