今日、ペンダントロケットに入れる写真、もぐらが手作りで作ってくれた写真用の額(えせるとろすが齧っていた積み木のような木片をのこぎりで切った)に入れる写真を探していたら、愕然とした。
仔牛は、うさぎの写真はそれぞれのフォルダを作って大体日付ごとに整理している。
ろす太の一番古いフォルダは2004年1月1日の日付だった。
体から、さぁーっと血の気が引いた。
今は、2007年の夏。
5歳だとばかり思っていたろすは、まだやっと4歳になったばかりだった……。
一番古い写真は、2003年12月22日。
やっと家にうさぎが帰ってきて、仔牛のながなが伸ばした幸せそうな足と、緊張しながらご飯を食べているろすの写真が残っている。
そして、同じ日付の写真に、もう白いお腹を出して、長々とケージの中でピンクの暖房マットの上ですやすや眠っているろすの写真。
たった、三年半しかろすと一緒に居れなかったんだ……。
そう思うと言葉が出ない。
うさぎも人間と同じ、三、五、七の年付近は気をつけよう、という。
その、五歳にまでも辿りつけさせる事が出来なかった。
ハウスラビットソサイエティや、いろんなうさぎのブログなどを見て、七歳だよ、八歳だよ、十一歳だよ、と見ると、心が乱れる。羨ましいと思う。そして、自分が情けなくなる。
ちび・えせるの教訓を書き残した記事を見て、ご飯にがっつかなくなったら信号、ご飯を残したら信号、とあれほど自分たち自身で書いているのに、うんちを調べてもらう事も、おしっこを調べてもらう事もしなかった。
仔牛は、絶対に慢心していた。
ローヤルゼリーがあるから、なにかあってももぐらが愉気できるから、自分に何ができるから、というのじゃなく、全部自分以外のものに頼ってろすと暮らしていた。
もぐらにたくさんごめんなさいなんだ。
これじゃ、拾ってくるだけ拾ってきて、結局両親に世話を任せていた子供の自分と動物たちとの関係と何も変わらない。
こんなにかわいかった命が居なくなって、気付いても……。
同じ事を繰り返さない事に、繋ぐしかない、と、ろすとの経験を無駄にしてはいけない、と、もぐらは言ってくれた。
だって、これから、もぐらも仔牛も、きっと両親との離別が待っている。
きっと、親しい人との離別も待っている。
もぐらと仔牛、どっちが先にいなくなるか分からない。
悔いたって事態は変わらない。
そして、悔いているだけ、でもないような気がする。
もっと単純に、もっとばかばかしい考え方で、
ねぇ、生き返っておいでよ、
と。
もぐらが教えてくれた虹の橋。
もぐらはちゃんともっと建設的に純粋な存在ではなく、溶け合って繋がりあっていくものとして捉えることが出来ているのに、仔牛は、そこでろす太が待っててくれるなら、すぐ側に行きたいと思ってしまった大バカ者。
多分、1か0かだからそうなるんだろうな……。
このサイトデザインを変え始める時に見た、最期の記事は、「プチ不調から復活」。
丁度二ヶ月半前にアップされたもの。
見るたびに、ぐるぐるする。
長さは問題じゃない。
そう分かっていても、でも、
もっと長く、一緒に居たかった。