ウサギ愛護活動とウサギ好き

私は日本うさぎ愛護協会の会員でもあるのですが、先日、公園で遺棄されていたウサギが無事保護されたとtwitterで報告があり、ほっとしておりました。
ところが、数日前、会員に配信されるメーリングリストで、実は色々と大変な事も生じていたことが書かれていました。
私自身はこのウサギ保護活動に参加しておりませんので、直接この件に関してコメントする立場にありませんが、そのことが常々考えていたことを思い起こさせましたので、ちょっと呟いてみようと思った次第です。

どちらかというと「渡米生活」ネタになってしまうので、別ブログとクロスポストにしましたが……
何故日本で動物愛護運動があまりさかんでないのか、という話です。
勿論、ひとくちに言える問題ではないことは重々承知ですが、私自身、渡米して、ハウスラビットソサエティ(HRS)の活動に参加するようになり、ひとつ気づいたことがあります。

それは、動物愛護運動がうまく根付くかどうかは、今現在動物愛護に興味関心がない人をどう引き込むかにかかっているのではなく、今動物が好きな人、動物愛護に興味がある人の姿勢にかかっているのだ、ということです。
いや、当たり前のことなんですがね(苦笑)。
でも、渡米するまでは、私は、「日本で動物愛護運動がなかなか浸透しないのは、多くの日本人がこの問題に興味関心がないからだ」と思っていたのですヨ。。

でも、そうじゃないのです。
日本でも、アメリカでも、動物愛護に興味がない人は、結局活動に参加しないからあまり関係ないのです。
問題は、動物が好きな人、ウサギが好きな人、寄付をするくらいには動物愛護に感心のある人が、大きなグループとなって一つの目的を果たすということが出来るかどうか、という点です。
そして、その観点から、日本では何がネックになっているのか、ちょっと考えてみました。

私は日本うさぎ愛護協会の会員でもあるのですが、先日、公園で遺棄されていたウサギが無事保護されたとtwitterで報告があり、ほっとしておりました。
ところが、数日前、会員に配信されるメーリングリストで、実は色々と大変な事も生じていたことが書かれていました。
私自身はこのウサギ保護活動に参加しておりませんので、直接この件に関してコメントする立場にありませんが、そのことが常々考えていたことを思い起こさせましたので、ちょっと呟いてみようと思った次第です。
どちらかというと「渡米生活」ネタになってしまうので、別ブログとクロスポストにしましたが……
何故日本で動物愛護運動があまりさかんでないのか、という話です。
勿論、ひとくちに言える問題ではないことは重々承知ですが、私自身、渡米して、ハウスラビットソサエティ(HRS)の活動に参加するようになり、ひとつ気づいたことがあります。
それは、動物愛護運動がうまく根付くかどうかは、今現在動物愛護に興味関心がない人をどう引き込むかにかかっているのではなく、今動物が好きな人、動物愛護に興味がある人の姿勢にかかっているのだ、ということです。
いや、当たり前のことなんですがね(苦笑)。
でも、渡米するまでは、私は、「日本で動物愛護運動がなかなか浸透しないのは、多くの日本人がこの問題に興味関心がないからだ」と思っていたのですヨ。。
でも、そうじゃないのです。
日本でも、アメリカでも、動物愛護に興味がない人は、結局活動に参加しないからあまり関係ないのです。
問題は、動物が好きな人、ウサギが好きな人、寄付をするくらいには動物愛護に感心のある人が、大きなグループとなって一つの目的を果たすということが出来るかどうか、という点です。
そして、その観点から、日本では何がネックになっているのか、ちょっと考えてみました。


1)寄付を募る団体の会計報告

実は、アメリカでは、寄付を募る愛護活動に対して、あまり社会が細かい会計報告を要求しません。
HRSのホームページにも、年次会計の報告なんてありません。
(いや、どこかにはあるのかも知れないけれど、ホームページから簡単に辿れるような処にはありません)
そんなことを要求しなくても、会員はボランティア達がどれだけ身を粉にしてウサギ達のために尽くしているか知っているし、知っているから寄付もします。

まあ、お陰でたまに酷いボッタクリ団体もあるわけですが、基本的には、そういう団体によく調べもせず寄付した人の責任であって、社会がそういった方々を代弁してマスコミが責め立てる、ということはあまりありません。
(寄付を受けておきながらそのお金を自分で使ってしまい、結果動物たちがまともに世話されていない、などのケースは大問題になりますけどね)

一方、日本では、個人でシェルター活動をされている方が沢山おられますが、多くの方が寄付を受け付けない形(つまり自分の資金持ち出し)で活動されています。
その理由は様々でしょうが、日本では厳しく要求されてしまう寄付金の使用用途についての説明義務が果たし切れないから、という事があるのではないか、と思っています。

ただでさえ寝る間も惜しんで動物たちのために尽くしているのに、会計処理なんてやっていられないですよね。
しかも、一つ間違えばそれを理由に非難されかねない、となったら、多少自分の懐が厳しくても二の足を踏むのも当然だという気がします。

しかし、実際には、保険がきかないウサギ(動物)の保護は本当にお金がかかるのです。
一回病院に連れて行って、健康診断を受けさせるだけで軽く数千円飛びます。
治療が必要になれば、簡単に(1匹につき)万単位の出費になります。
多くの方が、自分の生活も切り詰めながら、動物たちのためにそのお金を捻出しているのです。

寄付したお金の用途について一番文句を言うのは寄付した人々でしょうから、少なくとも寄付をするくらいには動物愛護に興味関心がある人達の、厳しい視線が重荷になっている、とも言えます。

2)動物が好きな人からのクレーム

これはどこの国でも問題になることですが、「動物が好き」という人々からの非難が、会の活動の士気を下げてしまう、という問題です。
動物を愛するあまり、つい人間は何を犠牲にしても動物を助けるべきだ、と思ってしまう、ということは、多分誰にでもあるのだと思うのです。
そう思うなら自分がやればいいんですが、困ったことに、「○○団体」と愛護団体を名乗るならそうする義務がある、あるいはそう努力しなくてはならない、とつい思ってしまうわけです。
別に、過激な人のことを言っているわけではなくて、実はこれは自戒です。

ひとつだけ、先の「日本うさぎ愛護協会」からのメールの中に書かれていたことを紹介します。
二匹の遺棄ウサギのうち、一匹は去年末に保護されたのですが、もう一匹がすばしっこく、捕まりませんでした。
それで、二度目の保護活動が年あけてから行われたわけですが、その予定を見たとき、私は「この残った子は年を超せるだろうか」とちらっと思いました。
で、そう思った人は私だけではなかったんですね。
年明けでは遅い、と、そういう非難が協会にあったそうです……。
しかし、メールには、そう簡単に何度も保護作戦を実行出来ない理由が書かれていました。
その理由は、十分に納得できるものでしたし、その中にかかれていた一文にはっとさせられました。

ご迷惑がかかるといけないので、引用はしませんが、つまるところ、私は、「協会が二匹目を無事保護しなくてはならない」といつの間にか思い込んでいたわけです。
でも、よくよく考えたら、ボランティア団体であるうさぎ愛護協会に、そんな義務はまったくありません。
その子が生き延びられなかったとしたら、その責任は、この冬の中ウサギを棄てたもとの飼い主が全面的に負うべきなのです。

多分、私がウサギ好きでなかったら、最初から素直にそう思ったでしょう。
でも、なまじウサギが好きなために、「助けられるものなら、助けなければ」と思ってしまい、自分が動ける立場でもないのに、ウサギ愛護協会のボランティアが無事保護してくれることを期待してしまったわけです。

動物が好きな人からの、そういう視線も、実際に動物愛護活動をされている人々にとって重荷になり得る。
そう学ばされた一事でした。

3)動物愛護活動に参加している動物の専門家(あるいはその近隣分野の専門家)が少ない

これは、アメリカでHRSを知って実感したことですが……
HRSでは、組織の上の方に居る人々に、獣医の学位を持っている人や、それに近い関連分野の博士号を持っている人がとても多いのです。
また、ドクターコースの学生さんもいます。
つまり、団体を代表する人達が、専門家なのです。
(まあ、どの団体でもそういうわけではないでしょうが、HRSはかなりその比率が高いです)

この専門家である、ということが、社会と交渉する必要が生じたときに非常に強い武器になります。
こればかりは、夜11時まで研究室にいるのがアタリマエといった日本の状況ではいかんともし難い部分がありますが、できれば、大学の先生などにも、積極的にこういう活動に参加して、団体を引っ張る立場になって欲しい、と思います。
ドクターコースの学生さんなら尚更です。
絶対よい経験になると思うのですが。

以上、こちらでつらつらと考えたことをまとめてみました。
結局、つきつめていえば、「ウサギ好き、動物好きな人間が変わらなければ、日本の動物愛護の現状は変わらない」ということなのです……。
今動物に感心がない人は、実は関係ないのです。
いつまでも、関係のない人達のせいにして、「これだから日本は」と嘆くのは止めにしようではありませんか(笑)。

どんな瑣細に見えることでも良いと思うのです。
たとえば、
「ウサギを棄てるなんて無責任すぎる。どういう神経してるの?!」
とブログに書くなら、
「ウサギを棄てたら、もともと日本古来の動物ではないペットウサギは生きていけませんよ! 野犬に襲われ、人間に怯え、穴を掘る柔らかい土もなく、隠れる場所もなく、傷だらけになって死にます!」
と代わりに書けば、それだけでも啓蒙活動になります。

他の誰かの行動を怒る前に、何か自分にやれることがある。
そう前向きになることが、今実際に活動をされている方々の力にもなる、と思うのです。
ところで、このエントリー、何度も書き直してもとの文章は殆ど消えてしまいました(笑)。
こういう文章ってホント、誤解がないように書くのが難しいです……。
で、一つ、話の流れで結局削除した部分があったのですが、やっぱりボツにするのは勿体ないので、ここに貼っておきます。


愛護活動の実際について。
ここにHouse Rabbit Society (HRS)のケースが記されていたので、ひとつ紹介します。
出典は、こちらのレポートです。
http://www.rabbit.org/rescue/sheltersurvey.html

この話題に関係する部分だけ、要点を紹介します。
(若干、私が補足している部分もあります)

HRSは年間約1500匹のウサギをシェルターから保護しています(HRSはシェルターで保護期間が切れたウサギを引き取り里親探しを引き継いでいます)。
1988年の発足から通算すると20000匹になります。
このために、全部で26箇所あるHRS支部では、それぞれの支部で年間1200時間を電話応対などに費やしています。
本部の活動も合わせると、全部で年間32000時間の時間が、ウサギを手放したい人からの電話や(HRSは個人からはウサギを引き取らないのですが、それでも相談してくる、ということなのでしょう)、ウサギについて相談したい人々への応対で使われている、ということです。
「ウサギを手放したい」といった相談電話の数は、支部によってまちまちですが、大雑把にいえば、HRS支部もしくはEducatorとよばれるボランティア達は平均で1日2本この手の電話に対応している計算になります。
電話の件数にすると、HRSの全支部+Educatorで35000件です。

時間も件数もとてつもない数ですが、これが各支部の責任者ともなると、毎日ものすごい量の電話がかかってきます。
Wisconsin支部の代表者のG氏のところには、我々がケージ掃除をしている1時間半ほどの間にも、数本の電話がかかってきます。

以前、「大変ですね」と言ったら、
「この時間にかかってくるのはまだいい、夕方から朝まで、夜通し一時間おきに電話がかかってきたことがある」と言われました。
私自身も、えせるの時に朝5時に電話したことがありますから、偉そうな事を聞けた口ではないのですが、とにかく傍目で見ていても本当に大変です。
電話だけでなく、土日もウサギを引き取りに行ったり、他の支部からの要請で出張したり、と、ゆっくり寝坊する暇もなさそうです。
本当にウサギが好きでなければ、続けていられない事だと思います。

1)寄付を募る団体の会計報告
実は、アメリカでは、寄付を募る愛護活動に対して、あまり社会が細かい会計報告を要求しません。
HRSのホームページにも、年次会計の報告なんてありません。
(いや、どこかにはあるのかも知れないけれど、ホームページから簡単に辿れるような処にはありません)
そんなことを要求しなくても、会員はボランティア達がどれだけ身を粉にしてウサギ達のために尽くしているか知っているし、知っているから寄付もします。
まあ、お陰でたまに酷いボッタクリ団体もあるわけですが、基本的には、そういう団体によく調べもせず寄付した人の責任であって、社会がそういった方々を代弁してマスコミが責め立てる、ということはあまりありません。
(寄付を受けておきながらそのお金を自分で使ってしまい、結果動物たちがまともに世話されていない、などのケースは大問題になりますけどね)
一方、日本では、個人でシェルター活動をされている方が沢山おられますが、多くの方が寄付を受け付けない形(つまり自分の資金持ち出し)で活動されています。
その理由は様々でしょうが、日本では厳しく要求されてしまう寄付金の使用用途についての説明義務が果たし切れないから、という事があるのではないか、と思っています。
ただでさえ寝る間も惜しんで動物たちのために尽くしているのに、会計処理なんてやっていられないですよね。
しかも、一つ間違えばそれを理由に非難されかねない、となったら、多少自分の懐が厳しくても二の足を踏むのも当然だという気がします。
しかし、実際には、保険がきかないウサギ(動物)の保護は本当にお金がかかるのです。
一回病院に連れて行って、健康診断を受けさせるだけで軽く数千円飛びます。
治療が必要になれば、簡単に(1匹につき)万単位の出費になります。
多くの方が、自分の生活も切り詰めながら、動物たちのためにそのお金を捻出しているのです。
寄付したお金の用途について一番文句を言うのは寄付した人々でしょうから、少なくとも寄付をするくらいには動物愛護に興味関心がある人達の、厳しい視線が重荷になっている、とも言えます。
2)動物が好きな人からのクレーム
これはどこの国でも問題になることですが、「動物が好き」という人々からの非難が、会の活動の士気を下げてしまう、という問題です。
動物を愛するあまり、つい人間は何を犠牲にしても動物を助けるべきだ、と思ってしまう、ということは、多分誰にでもあるのだと思うのです。
そう思うなら自分がやればいいんですが、困ったことに、「○○団体」と愛護団体を名乗るならそうする義務がある、あるいはそう努力しなくてはならない、とつい思ってしまうわけです。
別に、過激な人のことを言っているわけではなくて、実はこれは自戒です。
ひとつだけ、先の「日本うさぎ愛護協会」からのメールの中に書かれていたことを紹介します。
二匹の遺棄ウサギのうち、一匹は去年末に保護されたのですが、もう一匹がすばしっこく、捕まりませんでした。
それで、二度目の保護活動が年あけてから行われたわけですが、その予定を見たとき、私は「この残った子は年を超せるだろうか」とちらっと思いました。
で、そう思った人は私だけではなかったんですね。
年明けでは遅い、と、そういう非難が協会にあったそうです……。
しかし、メールには、そう簡単に何度も保護作戦を実行出来ない理由が書かれていました。
その理由は、十分に納得できるものでしたし、その中にかかれていた一文にはっとさせられました。
ご迷惑がかかるといけないので、引用はしませんが、つまるところ、私は、「協会が二匹目を無事保護しなくてはならない」といつの間にか思い込んでいたわけです。
でも、よくよく考えたら、ボランティア団体であるうさぎ愛護協会に、そんな義務はまったくありません。
その子が生き延びられなかったとしたら、その責任は、この冬の中ウサギを棄てたもとの飼い主が全面的に負うべきなのです。
多分、私がウサギ好きでなかったら、最初から素直にそう思ったでしょう。
でも、なまじウサギが好きなために、「助けられるものなら、助けなければ」と思ってしまい、自分が動ける立場でもないのに、ウサギ愛護協会のボランティアが無事保護してくれることを期待してしまったわけです。
動物が好きな人からの、そういう視線も、実際に動物愛護活動をされている人々にとって重荷になり得る。
そう学ばされた一事でした。
3)動物愛護活動に参加している動物の専門家(あるいはその近隣分野の専門家)が少ない
これは、アメリカでHRSを知って実感したことですが……
HRSでは、組織の上の方に居る人々に、獣医の学位を持っている人や、それに近い関連分野の博士号を持っている人がとても多いのです。
また、ドクターコースの学生さんもいます。
つまり、団体を代表する人達が、専門家なのです。
(まあ、どの団体でもそういうわけではないでしょうが、HRSはかなりその比率が高いです)
この専門家である、ということが、社会と交渉する必要が生じたときに非常に強い武器になります。
こればかりは、夜11時まで研究室にいるのがアタリマエといった日本の状況ではいかんともし難い部分がありますが、できれば、大学の先生などにも、積極的にこういう活動に参加して、団体を引っ張る立場になって欲しい、と思います。
ドクターコースの学生さんなら尚更です。
絶対よい経験になると思うのですが。
以上、こちらでつらつらと考えたことをまとめてみました。
結局、つきつめていえば、「ウサギ好き、動物好きな人間が変わらなければ、日本の動物愛護の現状は変わらない」ということなのです……。
今動物に感心がない人は、実は関係ないのです。
いつまでも、関係のない人達のせいにして、「これだから日本は」と嘆くのは止めにしようではありませんか(笑)。
どんな瑣細に見えることでも良いと思うのです。
たとえば、
「ウサギを棄てるなんて無責任すぎる。どういう神経してるの?!」
とブログに書くなら、
「ウサギを棄てたら、もともと日本古来の動物ではないペットウサギは生きていけませんよ! 野犬に襲われ、人間に怯え、穴を掘る柔らかい土もなく、隠れる場所もなく、傷だらけになって死にます!」
と代わりに書けば、それだけでも啓蒙活動になります。
他の誰かの行動を怒る前に、何か自分にやれることがある。
そう前向きになることが、今実際に活動をされている方々の力にもなる、と思うのです。
ところで、このエントリー、何度も書き直してもとの文章は殆ど消えてしまいました(笑)。
こういう文章ってホント、誤解がないように書くのが難しいです……。
で、一つ、話の流れで結局削除した部分があったのですが、やっぱりボツにするのは勿体ないので、ここに貼っておきます。


愛護活動の実際について。
ここにHouse Rabbit Society (HRS)のケースが記されていたので、ひとつ紹介します。
出典は、こちらのレポートです。
http://www.rabbit.org/rescue/sheltersurvey.html

この話題に関係する部分だけ、要点を紹介します。
(若干、私が補足している部分もあります)

HRSは年間約1500匹のウサギをシェルターから保護しています(HRSはシェルターで保護期間が切れたウサギを引き取り里親探しを引き継いでいます)。
1988年の発足から通算すると20000匹になります。
このために、全部で26箇所あるHRS支部では、それぞれの支部で年間1200時間を電話応対などに費やしています。
本部の活動も合わせると、全部で年間32000時間の時間が、ウサギを手放したい人からの電話や(HRSは個人からはウサギを引き取らないのですが、それでも相談してくる、ということなのでしょう)、ウサギについて相談したい人々への応対で使われている、ということです。
「ウサギを手放したい」といった相談電話の数は、支部によってまちまちですが、大雑把にいえば、HRS支部もしくはEducatorとよばれるボランティア達は平均で1日2本この手の電話に対応している計算になります。
電話の件数にすると、HRSの全支部+Educatorで35000件です。

時間も件数もとてつもない数ですが、これが各支部の責任者ともなると、毎日ものすごい量の電話がかかってきます。
Wisconsin支部の代表者のG氏のところには、我々がケージ掃除をしている1時間半ほどの間にも、数本の電話がかかってきます。
以前、「大変ですね」と言ったら、
「この時間にかかってくるのはまだいい、夕方から朝まで、夜通し一時間おきに電話がかかってきたことがある」と言われました。
私自身も、えせるの時に朝5時に電話したことがありますから、偉そうな事を聞けた口ではないのですが、とにかく傍目で見ていても本当に大変です。
電話だけでなく、土日もウサギを引き取りに行ったり、他の支部からの要請で出張したり、と、ゆっくり寝坊する暇もなさそうです。
本当にウサギが好きでなければ、続けていられない事だと思います。

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